被相続人の自筆証書遺言につき、裁判所選任の鑑定人が「被相続人が書いたものではない可能性が高い。」という鑑定結果を出しているにも拘わらず自筆であると認めさせ、認知症である遺言者につき「遺言の内容によってはある程度認知力が低下していても遺言能力はある。」と遺言能力を認めさせて、遺言書を有効とした事例。
喜多 芳裕
弁護士
【ご相談内容】 数億円を超える遺産につき、Aさんの父Bの「私の財産はすべてAに与える。」との自筆証書遺言につき、裁判所選任の鑑定人が被相続人Bが書いたものではない可能性が高いという鑑定結果を出し、裁判所はAが依頼していた弁護士の再鑑定の申立を却下して「鑑定人の鑑定結果に基づいて判決手続に進む。」と言ったので、Aさんが依頼していた弁護士は 敗訴する可能性が高いだろうと言ったとのことです。
Aさんは何人もの弁護士に相談したのですがどの弁護士も「裁判所選任の鑑定人のBが書いたものではない可能性が高いという鑑定書がある限り難しい。」ということで困り果てていたところ、ある人から「喜多先生に一度相談してみたらどうか。」と言われたということで、藁をも掴む思いで私のところに相談に来られました。
私はこの遺言書を一見しただけで偽造ではないと思いました。
この遺言書が用いている平仮名には一般には使われていない特殊な平仮名と一般に使われている平仮名が混在してました。
万葉集は「万葉仮名」といって全て漢字で書かれているということはご存知と思いますが(薬師寺の「仏足石歌碑」も参照してください)、平仮名は漢字を崩したものであり、崩し方に特にルールはなかったので、明治の初めの頃は同じ文字に各種の平仮名が混在していたのです。
この遺言書を書いた被相続人Bは大正生まれなのですが、Bのお母さんは明治生まれで学校の先生をしていました。
私は奈良教育大学の資料室にある明治10年過ぎに書かれた教科書の説明書を見ましたが、そこには「世の中にはいろんな種類の平仮名があるが、今使われている平仮名の代表的なものの書き方を示す。」という説明が書かれていました。
Bはお母さんから文字を習ったものと思われますが、当時はこの特殊な平仮名も使われており一般に使われている平仮名のほか、日頃からお母さんが使っていた特殊な平仮名も習っていたのです。
仮に相談者Aがこの遺言書を偽造したとすれば、Bが書いた文書を示して、「被相続人Bはこのように特殊な平仮名と一般に使われている平仮名を混在して使っている。」ということを立証しようとする筈ですが、Aはこの遺言書には特殊な平仮名が使われているということに気が付いておらず、「被相続人Bがこのような平仮名を使っている。」という資料を提出していませんでした。
ですから、この遺言書はAが書いたものではないことは明らかです。
この遺言書を作成した当時被相続人Bは軽い認知症であったと思われ、この遺言書の筆跡はその影響により以前の平常時のものと異なっているのですが、裁判所選任の鑑定人が比較に用いたBの筆跡は認知症になる前のもののみだったのです。
健常であった時に書いた筆跡と認知症になった時に書いた筆跡とを比較した場合異なっているのは当然のことで、そのことを考慮していない鑑定は失当ですが、この鑑定の資料として提出されたBの筆跡はすべて相手方が提出したものであり、 Aさんが依頼した弁護士は全く鑑定資料を提出していませんでした。
このような結果になったのはAさんが依頼していた弁護士が遺言者Bがこの遺言書を作成した時に近い筆跡を鑑定資料として提出しなかったことによるものです。
遺言書がBの自筆によるものであることが証明できても、その次に認知症になっているBの遺言能力の問題を解決しなければなりません。
一般に長谷川式と言われる認知症のテストでは30点満点で20点以下の場合は認知症である疑いが強いとされていますが、この被相続人は 16点しかなく、相手方は「長谷川式で19点である者は遺言能力がなく、その者が書いた遺言書は無効である。」とする東京高裁の判決を出してきました。
私は「遺言能力というものは一律に決めれるものではなく、遺言の内容によってはある程度認知力が低下していても遺言能力はある。」と考えています。
遺言書の内容が複雑なものであればそれ相応の理解力が必要ですが、簡単な内容であればその内容に応じた理解力で充分です。
長谷川式については点数だけが問題なのではなく、「どのような質問に対してどう答えているのか。」ということが大切ですが、この被相続人の答えを見ると「私の財産はすべてAに与える。」というこの遺言書の内容については十分遺言能力があると思われます。
相手方が援用する東京高裁の判決はそのような点を考慮していないほか、判決に至る理由は軽薄と言うほかないものであり、先例的意義はないと考えています。
裁判はもう終結間際でしたが、私はこれらの点について数百ページに及ぶ準備書面を提出して、この遺言書は有効である旨の判決を得ました。
相手方は控訴してきましたが、控訴審では遺言書が有効であることを前提として、相手方の遺留分を考慮した和解をしました。