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かなまる てつひろ
金丸 哲大弁護士
金丸法律事務所
市ケ谷駅
東京都千代田区五番町3-1 五番町グランドビル9階
対応体制
  • 法テラス利用可
  • 分割払い利用可
  • 後払い利用可
  • 初回面談無料
  • 休日面談可
  • 夜間面談可
  • 電話相談可
  • メール相談可
注意補足

分割・後払いにつきましては、事案によって対応できない場合があるため、要相談となります。

インタビュー | 金丸 哲大弁護士 金丸法律事務所

お金儲けではなく、必要な人のために全力をささげたい。二世弁護士を変心させた挫折経験と友人の叱咤

大学入学から弁護士なるまでに、文字通り茨の道を歩んできた金丸法律事務所の金丸 哲大(かなまる てつひろ)弁護士。
付属校から進学した大学では、学力不足で退学を余儀なくされ、その後、工場勤務などを経て、大学の夜間で法学を学びました。

「順調とは程遠い学生時代でした」

と振り返る金丸先生。
だからこそ、依頼者の気持ちに親身に寄り添い、窮状から抜け出せるよう全力を注ぎます。

「次の一歩を踏み出すところまで対応して初めて解決といえます」
と依頼者の人生の再スタートを使命感に日々奔走する金丸先生。
学生時代からの波瀾万丈の期間を振り返りながら、弁護士としてのこだわりの原点に迫ります。

01 弁護士を志した理由

大学時代から司法試験合格までに過ごした濃密な10年が醸成した、独特の弁護スタンス

ーー弁護士になるまでに、随分と大変な日々を送られたそうですね。

「順調」というには程遠い学生時代でした。
最初の挫折は、大学生の時です。
付属校から慶應義塾大学の理工学部に進学したものの、高校時代の成績は良くなく、授業にまったく付いていけませんでした。

一方で体育会の庭球部に所属していましたが、留年を繰り返し、進級できずに4年次で退学するしかなくなったのです。
テニス部の仲間も勉強をサポートしてくれましたが、あまりの出来の悪さに驚くほどでした。

大学を退学した私は、親の手前もあり、東京の実家を離れ、長野の工場で1年働きました。
都心から離れ、流れ作業を淡々とこなす毎日は、私にとって不思議な安心感がありました。

この1年で少し冷静になれたこともあり、なんとか大学は卒業しようと、進んだのが広島大学法学部の夜間です。
22歳以上の社会人枠があり、職歴関係なく、論文と面接のみでよかったのが選んだ理由です。


ーー弁護士への一歩を踏み出したのですね。

経済学部と法学部が選べたのですが、経済はイメージが湧かなかったというだけです。
ただ、ここで出会った仲間が私の中に眠っていたスイッチを押してくれました。

大学に行きたくても経済的理由で行けなかったというような社会人が、なんとか大学で学ぼうと、もの凄い意欲で通ってきている場所です。

私といえば、ただ自分がだらしないせいでなんとなくやり直ししている。
置かれている環境も意識も全然違っていたんです。

そのことに気づかせてくれたのが、同級生です。
「お前は自分がどれだけ恵まれているかちっともわかっていない!」
彼は私の境遇を知り、そう叱りつけてくれました。高校からエスカレータで大学へ進学した私ですが、恵まれていると思ったことは、それまで一度もなかったんです。

一方、私を叱ってくれた彼は、中卒で家の手伝いをしながら30歳を過ぎて検定を受け、大学にたどり着いた苦労人です。
もうなにもいい返せませんでした。


ーーズシリと心に響きますね。

言っていることがあまりに正しいので私はもう開き直るしかありませんでした。
そこで考えたのが、「恵まれている人間じゃないとできないことをやってやろう」ということでした。

在学中に国会でインターシップがあり、その時、日本の立法作業が制度上の制約もあり、支援するにもボランティアでないと厳しい実情を知ったのです。

この時、私の中で、「お金儲けではなく、必要な人やことのために全力をささげる弁護士になろう」と、腹が決まりました。

その後も司法試験で何度も挫折しましたが、覚悟を決めた以上、もう諦めるわけにはいきません。
途中、ロースクールも経て、なんとか弁護士バッジを手にすることができました。

02 これまでのキャリア

司法過疎地で約3年の弁護活動。あらゆる事案に対応し、その後、東京で父の事務所へ合流

ーーとても濃密な「回り道」をして、いまがあるのですね。

法律相談に来られる方は、大なり小なり、苦しみを抱えておられます。
大学時代からの10年近い歳月でした経験は、そんな方々の苦悩に比べれば、小さなものです。

ただ、依頼者の方の立場に立った視点を養うということでいえば、プラスに転換できる貴重な経験を積めたと、いまは思っているんです。


ーー弁護士としてはどのようにキャリアを積まれたのですか?

法科大学院時代に「司法過疎」の問題に興味を持ったんです。
そこで、まず司法過疎地へ赴任する弁護士の養成所となっている法律事務所へ入所しました。

経験を積んだ後は、北海道の岩内町(弁護士不在地域)へ赴任。
そこで約3年3ヶ月、弁護活動を行いました。

司法過疎とは、法律家(弁護士・司法書士)が極端に少ない地域のことです。
ですから、一人でいろいろな分野やご相談に対応することになります。
住民のごく身近な相談から地元自治体の事案まで、多様な依頼者の方を相手に、民事や刑事など、基本的にはどんな事案も満遍なく、幅広く対応しながら、弁護士スキルを磨いていきました。


ーーその後、東京へ戻り、現在の事務所へ入所された。

ちょうど子供ができ、初孫でもあったので、父の法律事務所ヘ合流するのにいいタイミングかなと。
出来の悪い息子でしたが、父はなにも言わず見守ってくれました。
「なにかお返しをしたい」という思いはもっていました。

父の方は、私が北海道へ行ったので、もう事務所を閉めるつもりだったようです。
父とは考え方も弁護スタイルも全然違いますが、いまは一緒に事案に対応しながら、2人でやらせていただいています。

03 解決事例

奉仕の精神で心までケア。離婚、刑事事件では、自ずと構築される依頼者と強固な信頼関係

ーートコトン依頼者の方に寄り添った弁護をされるのでしょうね。

心がけているのは、依頼者の方と同じ目線で弁護をすることです。
でもそれは、「寄り添う」というよりケンカするくらいのイメージかもしれません。

たとえば刑事事件なら、「弁護士はただ無罪を獲得すればいいんだ」というような依頼者なら、私は「それでは次に生きない」とハッキリ言います。
大事なことは「これを機にやり直すことなんだ」と。

ビジネスと割り切っている弁護士なら、事務的に解決することもなんの問題もないでしょう。
しかし、私はお金のことには特段、欲がないんです。


ーーやはりボランティア精神が宿っている。

その意味で印象に残っている事案があります。

離婚事案で相談に来られた女性の方がいました。
まさに表情が病んでいて気の毒なくらいでした。
離婚はしていなかったのですが、お子さんを置いて家を出てきたということで、すごく罪悪感を感じていたようです。

結局、相手側との話し合いはこじれ、調停もダメで裁判までいきました。
それでもなんとか、離婚が成立。
お子さんとも会える状況になったんです。

すると、依頼者の方の表情が、別人のように明るくなったんです。
メンタルケアの勉強もはじめられたそうで、本当にイキイキと人生の再スタートを切られたんだなと。私も嬉しさが込み上げ、「これなんだ」ととても手応えを感じたことを覚えています。


ーー依頼者の想いに全力を捧げる弁護スタンスだからこそ、心まで蘇らせることができたんですね。

何度も捕まっているような依頼者の方を弁護した時には、「ここまでやってくれ先生は初めてだ」と感謝のお言葉をいただきました。
実刑判決は受けたのですが、出所後にご連絡をいただき、お食事をともにしました。

報酬をいただく以上、弁護活動は仕事には違いありません。
しかし、自分としては仕事のために弁護士をやっている意識はないんです。
運転資金は必要ですから、経営的にはよくないのかもしれませんが、こうした姿勢が依頼者の方になにか少しでもプラスに作用してくれるのなら嬉しい限りです。

04 弁護士としての想い

過去を精算し、次の一歩を踏み出す機会を与えて初めて、弁護士として介入した意味がある

ーー弁護士として目指す理想のイメージを教えてください。

「金丸先生に依頼してよかった」と言ってもらえる弁護士になりたいですね。
私が考える理想の解決は、ただ法的に問題を解消することではありません。
過去を精算し、次の一歩を踏み出す機会を与えるーー。
そこまでして初めて、代理人として事案に介入した意味があると思っています。

そのためには、より多くの選択肢を依頼者の方に提示できなければいけません。
もっと貪欲に法律以外のいろいろなことにもチャレンジしながら、より広い視点で物事を見られるよう、精進を続けていきます。
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