いしがき てつろう
石垣 徹郎弁護士
札幌手稲ポプラの丘法律事務所
手稲駅
北海道札幌市手稲区手稲本町2条4丁目8-1 杉本ビル201
インタビュー | 石垣 徹郎弁護士 札幌手稲ポプラの丘法律事務所
日弁連の公設事務所・元所長が札幌市手稲区で独立。文科省や地方自治体を渡り歩いた数奇なキャリア
人口約14万人にも関わらず弁護士ゼロの札幌市手稲区。
2022年12月、ここに法律事務所を開設した人がいます。
札幌手稲ポプラの丘法律事務所の石垣 徹郎(いしがき てつろう)弁護士です。
元薬剤師で、司法試験合格後は司法過疎地で所長を経験。
その後も文部科学省の原子力損害賠償紛争解決センターの調査官、神奈川県小田原市の自治体内弁護士と、数奇なキャリアを歩んできました。
キャリアの集大成ともいえる場所に、なぜ手稲区を選んだのでしょうか。
2022年12月、ここに法律事務所を開設した人がいます。
札幌手稲ポプラの丘法律事務所の石垣 徹郎(いしがき てつろう)弁護士です。
元薬剤師で、司法試験合格後は司法過疎地で所長を経験。
その後も文部科学省の原子力損害賠償紛争解決センターの調査官、神奈川県小田原市の自治体内弁護士と、数奇なキャリアを歩んできました。
キャリアの集大成ともいえる場所に、なぜ手稲区を選んだのでしょうか。
01 これまでのキャリアと実績
司法過疎地で所長。原発事故賠償の調査官や自治体の代理人も
ーー薬剤師から弁護士に転身されたとお聞きしました。その経緯から教えてください。
薬剤師として7年間働きましたが、業界には調剤過誤やクレーム問題に頭を悩ませている現場がたくさんあります。
弁護士になって、そんな薬局や薬剤師を守りたい。
当初はそんな思いもあって、一念発起して法曹界の門を叩いたんです。
司法試験に受かったのは、今から十数年前のことです。
それから約5年間は、一貫して公設事務所で働いてきました。
弁護士過疎の解消のため、日本弁護士連合会や各地の弁護士会からの支援を受けて運営される事務所のことです。
その最初の1年は東京・新宿区にある「都市型公設事務所」であるところの東京フロンティア基金法律事務所に勤務し、後半の4年は山形県新庄市に設置された過疎地型公設事務所であるところの新庄ひまわり基金法律事務所所長を任されました。
東京では新宿・歌舞伎町の職安通りにあった法テラス(国が運営する法律相談窓口)で毎月、無料相談を担当していました。
通常、なかなか弁護士や法律事務所にご縁がないような方たちの相談を受け続けたのは良い経験になりました。
ーー新庄市での所長時代はどうだったんですか?
とにかく忙しかったという印象です。
雪山があちこちにあるのに、趣味のスキーは4年間でわずか数回しかできませんでした。
滑る時間があるくらいならゆっくりと休みたかった。
毎日そのくらい忙しかったんです。
事務所に直接いただくご相談が少なくとも月20件以上、それに社会福祉協議会や町役場などでの相談会にもよく出向いていました。
東京勤務時代を含めると、私がお受けしたご相談は2,000件近くに上るはずです。
しかも、「来た球は全部打つ」のが基本です。
それが公設事務所の役目ですし、地方ではそうでないと仕事が成り立たないからです。
駆け出しの頃から、民事、家事、刑事事件、破産管財人、相続財産管理人、成年後見人、未成年後見人とありとあらゆる事件を経験してきました。
ーー新庄での任期を終えてからは、また東京に戻ったようですね。
文部科学省の原子力損害賠償紛争解決センターで調査官を務めることになったんです。
文部科学省の中でも、東京電力福島第一原発事故による損害賠償の和解仲介を専門的に取扱う部署でした。
そこでは福島県飯舘村の集団申し立てなど、数多くの仲介業務を手がけました。
私が所属していた係は、不動産の賠償を集中的に取扱う係だったため、不動産鑑定士の鑑定評価等を日常的に吟味する立場にありました。
それまでは億を超えるような高額の不動産に関する仕事はあまり取扱っていなかったことから大変勉強になりました。
さらに、その後は神奈川県小田原市の組織内弁護士になり、そこで行政事件や国家賠償請求訴訟などに携わりました。
自治体の仕事で特に印象に残っているのは、土地と土地の境界を裁判所に定めてもらう手続であるところの境界確定訴訟ですね。
それまであまり土地家屋調査士の先生と仕事で議論することはなかったのですが、境界確定訴訟では土地家屋調査士の鑑定意見がなければ話が始まりませんからね。
やはりとても勉強になりました。
薬剤師として7年間働きましたが、業界には調剤過誤やクレーム問題に頭を悩ませている現場がたくさんあります。
弁護士になって、そんな薬局や薬剤師を守りたい。
当初はそんな思いもあって、一念発起して法曹界の門を叩いたんです。
司法試験に受かったのは、今から十数年前のことです。
それから約5年間は、一貫して公設事務所で働いてきました。
弁護士過疎の解消のため、日本弁護士連合会や各地の弁護士会からの支援を受けて運営される事務所のことです。
その最初の1年は東京・新宿区にある「都市型公設事務所」であるところの東京フロンティア基金法律事務所に勤務し、後半の4年は山形県新庄市に設置された過疎地型公設事務所であるところの新庄ひまわり基金法律事務所所長を任されました。
東京では新宿・歌舞伎町の職安通りにあった法テラス(国が運営する法律相談窓口)で毎月、無料相談を担当していました。
通常、なかなか弁護士や法律事務所にご縁がないような方たちの相談を受け続けたのは良い経験になりました。
ーー新庄市での所長時代はどうだったんですか?
とにかく忙しかったという印象です。
雪山があちこちにあるのに、趣味のスキーは4年間でわずか数回しかできませんでした。
滑る時間があるくらいならゆっくりと休みたかった。
毎日そのくらい忙しかったんです。
事務所に直接いただくご相談が少なくとも月20件以上、それに社会福祉協議会や町役場などでの相談会にもよく出向いていました。
東京勤務時代を含めると、私がお受けしたご相談は2,000件近くに上るはずです。
しかも、「来た球は全部打つ」のが基本です。
それが公設事務所の役目ですし、地方ではそうでないと仕事が成り立たないからです。
駆け出しの頃から、民事、家事、刑事事件、破産管財人、相続財産管理人、成年後見人、未成年後見人とありとあらゆる事件を経験してきました。
ーー新庄での任期を終えてからは、また東京に戻ったようですね。
文部科学省の原子力損害賠償紛争解決センターで調査官を務めることになったんです。
文部科学省の中でも、東京電力福島第一原発事故による損害賠償の和解仲介を専門的に取扱う部署でした。
そこでは福島県飯舘村の集団申し立てなど、数多くの仲介業務を手がけました。
私が所属していた係は、不動産の賠償を集中的に取扱う係だったため、不動産鑑定士の鑑定評価等を日常的に吟味する立場にありました。
それまでは億を超えるような高額の不動産に関する仕事はあまり取扱っていなかったことから大変勉強になりました。
さらに、その後は神奈川県小田原市の組織内弁護士になり、そこで行政事件や国家賠償請求訴訟などに携わりました。
自治体の仕事で特に印象に残っているのは、土地と土地の境界を裁判所に定めてもらう手続であるところの境界確定訴訟ですね。
それまであまり土地家屋調査士の先生と仕事で議論することはなかったのですが、境界確定訴訟では土地家屋調査士の鑑定意見がなければ話が始まりませんからね。
やはりとても勉強になりました。
02 取扱分野と解決事例
初めて担当した覚醒剤所持の否認事件で不起訴獲得
ーー多彩なキャリアが目を引きます。その後、現事務所を立ち上げた理由もお聞きできますか?
公設事務所に入ったときから、変わらず大切にしている思いがあります。
それは、弁護士が大勢いる都心ではなく、司法過疎地などで困っている方々の助けになりたいというものです。
現事務所のある札幌市手稲区は、スキー場や森林公園など観光スポットがたくさんあって外国人観光客の方も大勢訪れる一方、人口14万人以上もの規模がある住宅街を抱えている大きな街です。
ところが、人口が14万人以上もいるのに、弁護士がひとりもいなかったんですよ。
北海道は車社会とはいえ、必ずしも移動の足を持っている人ばかりではありません。
駅前の便利な場所に、無料駐車場もある事務所があれば、きっと地域の方々に喜んでいただけるだろうと。
それで手稲で開業することにしたんです。
まだ開設して間もないですが、ありがたいことに順調に問い合わせをいただいています。
個人・法人を問わずどんな事件もお受けしていますが、今のところはとくに離婚・男女トラブルや労働問題のご相談が多いですね。
開業して早速、企業・団体様からのご依頼もいただいているような状況で、忙しく仕事させていただいています。
ーーここからは、具体的な事件のエピソードをお聞きします。過去に担当した事件で、印象に残っているものを教えてください。
新人時代に初めて担当した刑事事件で、いきなり否認事件を引いたときは驚きましたね。
覚醒剤所持の容疑で逮捕された女性の弁護を担当したときのことです。
結果的には起訴に至らず釈放されたんですが、「まさか一発目から否認事件はないだろ」と思わず心のなかで叫んでしまいましたよ。
女性から「私はやっていない」と告げられたときは一瞬動揺しましたが、すぐに気持ちを切り替えました。
あのときはとにかく、あらゆる手を駆使して抵抗したのをよく覚えていますね。
ーーどんな手を打ったんですか?
実は、警察の取り調べで自白調書を取られてしまったんです。
まともに攻めても勝ち目はないような状況でした。
ただ、その自白の信用性を徹底的に突いたんです。
というのも、女性は心身に多くの持病を抱え、精神科などいろんな病院に通っていたんです。
私はその病院をすべて回ったうえで、警察に「今すぐ通院させないと病状が悪化する」と必死にかけ合うとともに、精神疾患を患っていることから「取り調べ時の自白は信用できない」などと執拗に訴えました。
このまま起訴されて有罪判決が出たら、冤罪事件そのものですからとてもプレッシャーがかかりました。
その作戦と熱意が通じたのか、不起訴と釈放を手にできたんです。
釈放されたときは遠方から女性のご両親が駆けつけてくださり、とても喜んでいただけました。
公設事務所に入ったときから、変わらず大切にしている思いがあります。
それは、弁護士が大勢いる都心ではなく、司法過疎地などで困っている方々の助けになりたいというものです。
現事務所のある札幌市手稲区は、スキー場や森林公園など観光スポットがたくさんあって外国人観光客の方も大勢訪れる一方、人口14万人以上もの規模がある住宅街を抱えている大きな街です。
ところが、人口が14万人以上もいるのに、弁護士がひとりもいなかったんですよ。
北海道は車社会とはいえ、必ずしも移動の足を持っている人ばかりではありません。
駅前の便利な場所に、無料駐車場もある事務所があれば、きっと地域の方々に喜んでいただけるだろうと。
それで手稲で開業することにしたんです。
まだ開設して間もないですが、ありがたいことに順調に問い合わせをいただいています。
個人・法人を問わずどんな事件もお受けしていますが、今のところはとくに離婚・男女トラブルや労働問題のご相談が多いですね。
開業して早速、企業・団体様からのご依頼もいただいているような状況で、忙しく仕事させていただいています。
ーーここからは、具体的な事件のエピソードをお聞きします。過去に担当した事件で、印象に残っているものを教えてください。
新人時代に初めて担当した刑事事件で、いきなり否認事件を引いたときは驚きましたね。
覚醒剤所持の容疑で逮捕された女性の弁護を担当したときのことです。
結果的には起訴に至らず釈放されたんですが、「まさか一発目から否認事件はないだろ」と思わず心のなかで叫んでしまいましたよ。
女性から「私はやっていない」と告げられたときは一瞬動揺しましたが、すぐに気持ちを切り替えました。
あのときはとにかく、あらゆる手を駆使して抵抗したのをよく覚えていますね。
ーーどんな手を打ったんですか?
実は、警察の取り調べで自白調書を取られてしまったんです。
まともに攻めても勝ち目はないような状況でした。
ただ、その自白の信用性を徹底的に突いたんです。
というのも、女性は心身に多くの持病を抱え、精神科などいろんな病院に通っていたんです。
私はその病院をすべて回ったうえで、警察に「今すぐ通院させないと病状が悪化する」と必死にかけ合うとともに、精神疾患を患っていることから「取り調べ時の自白は信用できない」などと執拗に訴えました。
このまま起訴されて有罪判決が出たら、冤罪事件そのものですからとてもプレッシャーがかかりました。
その作戦と熱意が通じたのか、不起訴と釈放を手にできたんです。
釈放されたときは遠方から女性のご両親が駆けつけてくださり、とても喜んでいただけました。
03 私の弁護スタンス
DV夫の横暴を阻止、離婚成立へ。依頼者を守り抜く信念と覚悟
ーー依頼者のために手を尽くす。そんな不屈の精神と力強い姿が印象的です。
どんな相手にも、恐れず立ち向かう。
どんな逆境でも、あきらめずに突き進む。
常にそうありたいと思っていますし、それは私の持ち味といえるかもしれません。
実は、過去にはこんなこともあったんです。
夫からDV(ドメスティックバイオレンス)を受けていた女性の離婚調停を担当していたときのことです。
DVの場合は、夫婦が鉢合わせしないように時間をずらして裁判所に出入りするんですが、夫が裁判所の職員の静止を振り切って私たちの前に突如現れたんですよ。
当然、私は夫の前に立ち塞がって女性を守ったんですが、その夫は私より頭一つ大きくて、格闘経験のあるような男性だったんです。
「殴りかかられたらひとたまりもないな」と思いながらも毅然と振る舞い、相手を引き下がらせました。
ーー離婚・男女問題の相談も多いとおっしゃっていましたね。この場で読者に伝えたいことなどはありますか?
一番にお伝えしたいのは、ぜひ早めに相談していただきたいということです。
離婚関係のご相談を受けるときに、毎回ご紹介するエピソードがあるんです。
離婚に伴う財産分与などについて、数千万円を分割で支払う調停が本人同士で成立した事件のことです。
調停は成立したものの、その後相手からの支払いが滞り、困ってご相談にいらした方がいました。
通常なら、未払いが続いた場合は残りの全額を強制執行できる取り決めをあらかじめ結んでおくべきなんです。
弁護士なら誰もが知るようなことですが、その調停ではそれを入れていなかったんですよ。
当事者間で解決できればお金も時間もかからないメリットはありますが、一方で致命傷を負ってしまうリスクも高いと言わざるを得ません。
ですから、手遅れになる前にぜひ早めにご連絡いただきたいんです。
どんな相手にも、恐れず立ち向かう。
どんな逆境でも、あきらめずに突き進む。
常にそうありたいと思っていますし、それは私の持ち味といえるかもしれません。
実は、過去にはこんなこともあったんです。
夫からDV(ドメスティックバイオレンス)を受けていた女性の離婚調停を担当していたときのことです。
DVの場合は、夫婦が鉢合わせしないように時間をずらして裁判所に出入りするんですが、夫が裁判所の職員の静止を振り切って私たちの前に突如現れたんですよ。
当然、私は夫の前に立ち塞がって女性を守ったんですが、その夫は私より頭一つ大きくて、格闘経験のあるような男性だったんです。
「殴りかかられたらひとたまりもないな」と思いながらも毅然と振る舞い、相手を引き下がらせました。
ーー離婚・男女問題の相談も多いとおっしゃっていましたね。この場で読者に伝えたいことなどはありますか?
一番にお伝えしたいのは、ぜひ早めに相談していただきたいということです。
離婚関係のご相談を受けるときに、毎回ご紹介するエピソードがあるんです。
離婚に伴う財産分与などについて、数千万円を分割で支払う調停が本人同士で成立した事件のことです。
調停は成立したものの、その後相手からの支払いが滞り、困ってご相談にいらした方がいました。
通常なら、未払いが続いた場合は残りの全額を強制執行できる取り決めをあらかじめ結んでおくべきなんです。
弁護士なら誰もが知るようなことですが、その調停ではそれを入れていなかったんですよ。
当事者間で解決できればお金も時間もかからないメリットはありますが、一方で致命傷を負ってしまうリスクも高いと言わざるを得ません。
ですから、手遅れになる前にぜひ早めにご連絡いただきたいんです。
04 思い悩んでいる人たちへ
かつては弁護士報酬の代わりに現物支給も。気軽に相談してほしい
ーーただ、日常生活で弁護士と関わる機会は多くありません。相談をためらう人の心境もわかる気がします。
弁護士に厳格で近寄りがたいイメージをお持ちの方もいらっしゃるはずですが、決してそんなことはありません。
とくに私は、どなたも気さくに話せる弁護士だと思います。
公設事務所の経験者には、きっとそういう人が多いはずです。
新庄で働いていた頃は青年会議所に参加して雪祭の実行委員会に加わっていましたし、弁護士報酬の代わりにお米やキノコをいただくこともよくありました。
公私ともに、それほど住民のみなさんと近い距離で接していたんです。
縁あって事務所を開業することになった手稲区。
区民を中心に札幌や北海道のみなさんのために、私はここで最後まで任務を全うする覚悟です。
困ったことがあれば、ぜひ遠慮なくご相談いただきたいですね。
弁護士に厳格で近寄りがたいイメージをお持ちの方もいらっしゃるはずですが、決してそんなことはありません。
とくに私は、どなたも気さくに話せる弁護士だと思います。
公設事務所の経験者には、きっとそういう人が多いはずです。
新庄で働いていた頃は青年会議所に参加して雪祭の実行委員会に加わっていましたし、弁護士報酬の代わりにお米やキノコをいただくこともよくありました。
公私ともに、それほど住民のみなさんと近い距離で接していたんです。
縁あって事務所を開業することになった手稲区。
区民を中心に札幌や北海道のみなさんのために、私はここで最後まで任務を全うする覚悟です。
困ったことがあれば、ぜひ遠慮なくご相談いただきたいですね。