法解釈をめぐる学説で、どれを支持するかを決める最終的な決め手は、究極的には個人の直感なのではないか?

日本には、
憲法や法律などといったものが存在しますが、
それらの条文の解釈をめぐっては、
法律家の間で見解が分かれる事が
往々にしてあります。

各々の法律家は、
自らの法解釈の見解・学説の正当性を示すため、
論理だてた理屈を並べて、
その妥当性を主張しようとします。

しかし、それぞれの学説は、
客観的に見れば、
どれも それなりに論理的には
筋が通っているように思えます。

それにもかかわらず、
著名な法律家たちの間ですら、
法解釈をめぐって
見解・学説が割れてしまうのは、
究極的には、
客観的な“論理・理屈”というより、
主観的な“直感・感覚”の世界に
行き着いてしまうものなのではないですか?

いってしまえば、最終的には、
「私としては、感覚的に、
こちらの学説のが しっくりくる」
というほうを、
自らが支持する学説として
主張しているだけなのではないですか?

お悩みのことと存じます。一般論としては、きちんとした根拠がありますが(比較法、文言、趣旨等)、同じようなことをおっしゃった有名な学者もいます。本件は、法律相談ではないので、どうしてもお知りになりたいのならば、この手の問題に精通した弁護士等に、ネットではなく直接教授をうけるのが良いと思われます。

ご回答ありがとうございます。

<同じようなことをおっしゃった有名な学者もいます。>

とのことですが、その学者は、どなたなのでしょうか?