殺意がなくても、「死ね」と思っていれば殺人罪となり得るのでしょうか?

SFのような話で申し訳ないのですが、例えば私が自転車で違法運転行為をして、その影響で被害者の自動車、自転車等の運転手、歩行者が事故によって亡くなってしまったとします。その事故の時、私は相手の運転手に対して「死んでしまえ、死ね」と考えていたとします。ただ、自分の違法運転行為によって相手の運転手が死ぬとは思っていなかったとします。また、私がしたとする違法運転行為とは飲酒運転、無灯火、傘さし運転、スマホながら見運転、道路飛び出し、歩道の人混みを縫うような運転、逆走、並走、信号無視などです。
そして相手が怪我をする程度の(死なない程度の)事故を想定してその事故をわざと起こしたとします。つまり意図的に私は被害者を殺したわけではないとします。その後たまたま私は警察に逮捕される事なく済んでしまったとします。そして将来、科学技術によって人の過去に考えていたことが全てわかるようになったとします。
そして後に私は警察に逮捕され、私の過去に考えていたことが公になったとします。
この場合私は殺人罪で裁かれる可能性はあるのでしょうか?

故意論は刑法上の一大テーマでして、現在の学説では、自らの行為が死の結果発生の危険性のある行為であるかを認識した(または認識し得た)かが重要であって、軽率にこの程度では死なないだろうと考えていたとしても故意は阻却されず、殺人の故意があったと判断されます。
現在の学説、判例が変わらない限りは、未来においても同様の扱いになるかと思います。
刑法総論という分野の基本書にそのあたり書かれていることから、読まれてみると参考になるかもしれません。

ご回答ありがとうございます。
追加の質問で申し訳ないのですが、刑法総論のどのページのどのあたりにそのことが書かれているのでしょうか?
また、他の弁護士の方からは
A弁護士「傷害致死罪は成り立ち得ますが、殺人罪に該当する客観的な実行行為が無いと考えられるので、「死んでしまえ、死ね」と内心で思っていたとしても、殺人罪にはならないと考えられます。」や
B弁護士「故意というのは犯罪事実の認識・認容を指します。設問のケースでは、客観的な行為に殺人罪の実行行為性が認められないわけですから、その事実を認識していたとすると、殺人罪は成立しないこととなります。」
とお答えいただきました。
匿名A様のご回答と真逆の事を話しておられるのですが、どちらが正しいのでしょうか?

実は、実行行為にも、色々な学説がございまして、どの説を取るかによって、実行行為や、故意については、結論も変わってきます。
その先生とは、取っている説が異なる感じです。
ここのところは、司法試験受験時代に、莫大な時間をかけて勉強するところですし、刑法総論のどの本にも載っているので、是非色々な本を読み比べてみてください。学者によって書いてある内容も大きくことなります。

ご返信ありがとうございます。
追加の質問で申し訳ないのですが、私が事故をわざと起こしたわけではない場合は私は殺人罪に問われるのでしょうか?
また、自分が想定していた事故の内容(人が死なないであろう事故)と、実際に起きた事故(人が実際に死んでしまった事故)の内容が違った場合でも殺人罪に問われますか?
要は自分が想定していたよりも大きな事故が起きてしまったという場合でも殺人罪に問われるのかという意味です。

実際どのような運転をしていたか次第なのですが、人の死の結果発生の危険があるような運転をされていたのであれば、殺人際に該当する可能性はございます。
実際にそういった事故を起こされた等のご相談であれば、遠方ですが、相談に乗ることもできますので、またご相談いただけましたら。

そして、以上の場合でも将来の科学技術によって私の過去に考えた事は公になっているとします。

できれば相談をさせていただきたいのですが、匿名でいらっしゃるので、どのようにして連絡を取ればよろしいのかわかりません。

ありがとうボタンを押していただけると外部に公開しない形でのメッセージのやり取りが可能になりますので、そちらにご相談概要をご記入いただければと存じます。