支援措置を受ける方法を見つけたい

『モラハラ父との関係を断つ手段の一つ、支援措置を取りたい!』です。

物心ついた頃から父母の喧嘩は絶えず、2人がまだ若く活力があるころは包丁を差し出したりする場面を見せられたり、父が姉の塾の月謝が高いと当時中学生の姉に罵声を浴びせたり、時には食器をフライパンで割りまくったりと、今で言う両親とも毒親、父はモラハラが当たり前な環境で育ちました。
自分が成長するに連れ、学生時代はバイト、その後就職し一人暮らしをしたりと、親との距離が離れるにつれて特に問題なく過ごしてきたのですが、3年前に闘病中であった母の状態が悪化し、それを機に私(独身)が母を看取ると決心を固め実家に戻り母の闘病生活を支えていました。
父が不機嫌で帰ってくると「誰が住まわしたってると思ってる」「生意気な口聞きやがって」等言われるため、母と共に父が帰ってくる前に寝る支度をし、家庭内別居のように出来る限り接触しないように過ごし自分たちを守ってきました。

そしてなぜ『』のように考えたかというと、昨年自分に癌が見つかり、闘病の末母も亡くなったため実家にいる意味もなく、自分の人生を生きようと行動に移しているからです。

去年の今頃、私は手術前、体調が悪く仕事も行けず、精神は毎日ギリギリで過ごしていましたが、父からは「何で洗濯物干してないねん」「仕事休めて良いな」など言われ、私の受診の際は良い父親のように「娘をよくしてやってください」と言ってみたり。。。
この頃私はどの口がそんなこと言ってるんだろうかと、これがモラハラかと混乱しつつも、何とか気持ちに折り合いをつけ耐えていました。
いざ私の手術が無事成功し転移もなく、その後経過を見るだけで良くなったのに対し、母は病状の悪化により歩行もやっとで、そんな母を私が病院に連れて行ってました。
患者が患者を支えてるって状態でした。
本当にキツかった。
毎日どうやったら死ねるか、何のために私は生きてるのか、生かされてるのか、生き地獄かと思って過ごしてました。
退院日には保険の切り替えの兼ね合いで限度額認定証が間に合わず、高いお金を一旦払わないといけなくなり、それを払ってはくれましたが「全部返せよ」と捨て台詞を言われ傷付いたエピソードもあります。

それでも父は私に「頼んだ」と言って、母の通院や家事は何一つ手伝ってくれることは無かったです。
唯一お金だけ役割をかろうじて担ってくれていた状態。
しかし母は父の扶養で、父から治療費を貰わないと受診できず、受診代を渡される際は「高いなぁ」と言われたり、無言でお金を置いてくれるものの足りない金額であったりしました。
かつ、車のガソリンや日常で使う食費などは一切くれません。母のわずかな貯蓄と私の貯蓄と保険金で生活してました。
お金への執着が強いのはパチンコ依存症だからでしょうか?

母が在宅介護や入院を繰り返す間も、契約する日は居るけれど後は丸投げ。父は逃げの一手でした。
何度絶望したかわかりません。
母は去年の夏亡くなり、現在では父と2人で実家に住んでいますが、精神面、体調の兼ね合いで私はニートです。
「誰が光熱費払ったってるねん」「働いてないくせに家事くらいしろ」などとモラハラが激化し、私の部屋の近くの壁を殴って威嚇してくるような行為がある時期もありました。

こんな環境から逃げるべく引っ越し先も決まったものの、家を出たら出たで父がどう出てくるか分からない。
そう思う背景に、母名義でカードを作りブラックリストになった過去や、姉がまだ母のお腹にいる頃にDVを受けていたと母から聞いたこと、知識を持った知人が父の周りにいる事、姉に「お前は結婚して関係なくなった。○○(私)だけや」と言っていたと聞いたことです。

引っ越し先の市では上記の経緯をかいつまんで話したものの、“親子間でのモラハラでは支援措置は適応にならない”と言われこのままでは不安しかありません。
手を出されないよう、身を守るために家庭内でも徹底的に距離を置いて過ごしてきたのに、逆にそれが仇になってるかのように“暴力行為など命の危険が見受けられないと対応できません”とも言われ、そうなってからでは遅いから行動を起こしているのに、何のための制度なのかと疑問を感じてます。
どうにか支援措置を受け、住所を隠して自分の心の安寧を掴み取り生きていきたいです。
何かいい方法が無いか教えてください。よろしくお願いします。
長文で失礼いたしました。

住民票を移さないほうがいいでしょう。
郵便物が来ないと困るので、郵便局には転送届を出しておくといいでしょう。
転送先は開示されません。

内藤弁護士様
ご回答ありがとうございます( ; ; )
やはりこの現状では住民票を移さないという手しかないのでしょうか??

そのように思います。

そうですか、、
ありがとうございました!