「冤罪の可能性があるから死刑は廃止すべき」という意見に対し反論があったが、この反論内容は変ではないか

ある死刑賛成派の人が、
「冤罪で死刑になった場合には取り返しがつかないから死刑制度には廃止すべき。」
という意見に対して、次のように反論していました。

「『冤罪が避けられない以上、死刑は廃止すべきだ』と主張する人もいるが、
それを前提として『死刑』を『仮釈放のない終身刑』で代替させようとするなら、
それは冤罪の防止に向けた努力を放棄したも同然というわけだ。

それどころか、『後で是正すればよい』との心理から、
冤罪に対するチェックが疎かになってしまう危険すらあるという。
しかしそれでは本末転倒もいいところだ。」

しかし、私には、その反論は、
どう考えても論理的におかしいように思えてなりません。

なぜなら、そもそも現在の刑事司法の有罪認定の基準は、

「刑事裁判における有罪の認定に当たっては、
合理的な疑いを差し挟む余地のない程度の立証が必要である。
ここに合理的な疑いを差し挟む余地がないというのは、
反対事実が存在する疑いを全く残さない場合をいうものではなく、
抽象的な可能性としては反対事実が存在するとの疑いをいれる余地があっても、
健全な社会常識に照らして、その疑いに合理性がないと一般的に判断される場合には、
有罪認定を可能とする趣旨である。」

というものですよね。

これはつまり、
「被告人が無実である可能性は若干は存在していたとしても、
高確率で被告人が真犯人であると思われる場合は、
有罪としてもよい(しなければならない)。」
という意味ですよね。

ということは、
その裁判において提示された証拠に基づいて審理を行った結果、
現時点においては被告人が高確率で真犯人であるという判断がなされれば、
たとえ若干は被告人は無実である可能性が残っていたとしても、
有罪を出さないといけないということになります。

たとえ被告人に死刑判決を出す場合であっても同じです。

これは別に、
冒頭の反論文内で出てきた
「冤罪の防止に向けた努力を放棄した」ということにはならないのではないですか?

「冤罪の防止」を完全に実現しようとしたら、
否認事件については全て無罪判決を下す以外に方法は無いからです。
しかし現実問題として、そのような事は出来ません。
現在の刑事裁判の有罪認定基準においては、
被告人が無実である可能性は若干は残っていたとしても、
真犯人確率が一定ラインを突破していれば
有罪を出さないといけない事になっているからです。

しかし、冤罪死刑の可能性を理由に死刑制度に反対している人たちは、
死刑適用においては、その『若干の被告人は無実である可能性』すら
社会的リスクとしては容認できないという趣旨で言っているのです。
(死刑というのは権利の帰属主体そのものを奪い、
権利の回復可能性を完全に失わせてしまうという点で、
他の刑罰とは本質的に異なるものであるため。)

また、同じく冒頭の反論文内で出てきた
「『後で是正すればよい』との心理から、
冤罪に対するチェックが疎かになってしまう危険すらある。」
という意見については、
言ってみれば
「冤罪に対するチェックを疎かにしないために死刑制度を維持すべき。」
という、
およそ法律的には頓珍漢極まりない意味不明な主張となってしまっていませんか?

「冤罪の可能性の減らすために死刑制度を残しておこう。」
なんて、こんな奇妙な意見を一体どこの法律家が認めるというのでしょうか?

この意見を唱えた人は、
「現在の刑事司法においては、
懲役刑が適用される事件は、死刑が適用される事件より、
有罪認定の基準が緩くなっている。」
とでも言いたいのでしょうか?

もしそうだったら、
そのようになっている現状の方がおかしいのであって、
そちらをまず改善する方が先なのではないですか?

以上の理由から、
冒頭の反論文の主張は
どう考えても論理的におかしいように思えてなりませんが、
この私の意見はいかが思われますか?

ご見解をいただけますと幸いです。

冤罪事件の刑事弁護という話ではなく、死刑制度に関する議論ということであれば、この場では意見は出てこないかと思います。

ご回答ありがとうございます。

そうですか、それでは、A弁護士さんは私の意見について、どう思われますか?