公正証書の面会条件変更での「程度」使用の影響は?
離婚の際の公正証書の子どもの面会条件について。
「月1回」と記載していたところ、
相手から「月1回“程度”」に変更して欲しいといわれました。
旦那は弁護士に相談してそう書いた方がいいと言われたそうです。
ちなみに面会は相手や子どもが会いたいと言えば、1回以上でもわたしはいいと考えています。
1回と1回程度というのはどういった違いがありますでしょうか。
程度、といれたことでこちらにデメリットはありますでしょうか。
回答の前に確認しておきたいのですが、離婚後のお子さんらの親権(監護権)はご相談者にあるという前提で回答して大丈夫でしょうか?
はい、親権はわたしです。
離婚の原因は借金・虚言・モラハラ・経済的にDVなどですが
あちらは性格の不一致と主張しています。
ご相談者が監護者(親権者)である場合に、「月1回以上あってもよい」、「月1回は確実に」という意思から「月1回」と原案が作成されたと推測しますところ、相手方が「月1回程度」とする趣旨は、相手方の意思は「月1回以下」という趣旨で、つまりは月1回を強制されたくないとの意思だと推測されます。
つまり、相手方が月1回の面会交流ができない場合を想定したときに、公正証書であることから、強制執行が頭をよぎったのではないかと推測されます。
ただ、面会交流の取り決めについては、公正証書にしても強制執行は難しいところ、家裁でも、「月1回程度」という文言を使って強制執行になじまないとの取り扱いをするのが一般です。
そもそも面会交流の強制執行においては、監護者(ご相談者)の方が債務者として強制執行を受ける立場になると解釈するのが一般的なので、「月1回」としたところでご相談者からの強制執行は難しいと思われ、結論として「法的効果は変らないと思う。」ということになりますが、具体的な文言を確認しているわけではなく、推測を重ねて一般的な文言を前提とした回答になります。
逆に、相手方の相談弁護士は、具体的文言を見た上で、「少なくとも強制執行が不可能とも断言できない」と判断し「程度」という文言をすすめたと推測しますので、ご相談者の方で「どうしても相手方が月1回の面会交流の不履行の場合に強制執行したい」という考えがある場合には、公正証書の案を確定させる前にその具体的事情を開示した上で個別の法律相談をされることをお薦めします。
ただ、逆の状況も想像しておいた方が良いです。
ご相談者やお子さんらの健康や環境・都合などの状況から、ご相談者の方が月1回、相手方に面会させることが難しいという事態になった場合、逆に強制執行を受ける可能性を検討しなければならないため、柔軟性に欠けるのはご相談者にとっても同じだと思われます。
一般には、監護者の方に強制させないという趣旨で、「程度」という文言を使うのですから。
つまり、監護者側のご相談者にとっても「程度」という文言はあった方が良いと思うのが私見です。
わたしは相手が特に子ども会いたいと言う意思がないのであれば、今後一切会わなくてもいいという考えでした。
なので、「月一回は絶対で、会わないなら強制執行したい」などの意思はありません。
それであれば“程度”とつけても特にこちらとしても不利益を被ることはなさそうといった認識で間違いないでしょうか。
「月1回程度」とは「月1回以上」とイメージするのと逆にそれ以下「月1回未満」例えば「2か月に1回」など、月1回よりも多い場合もあれば、月1回よりも少ない場合もあるという意味で、その中心を定めた実に曖昧な表現になります。
かかる曖昧な表現では債務不履行の事実を判断しづらく、また不履行の回数なども特定できないので、強制執行は難しい表現となりますが、相手方に対する強制執行を考えていないのであれば、逆にご相談者自身に対する強制執行を受ける可能性を回避するという意味で、デメリットどころかむしろご相談者にとっても「程度」はつけた方がメリットがあるということになります。
そもそも子どもが会いたいという意思がなければ会わなくても良いとお考えなのであれば、今般、相手方の希望で面会交流の規定を加えた(ご相談者が規定してあげた)ことになりますが、そういう意味では「程度」への変更は相手方にとって、自ら権利性を弱めた表現に変えているということになりますので、ご相談者の方がこだわる理由は更にないと思われます。