なかざわ たくむ
中澤 拓夢弁護士
中澤総合法律事務所
玉造駅
大阪府大阪市中央区玉造1-3-11 KH中央区玉造402
インタビュー | 中澤 拓夢弁護士 中澤総合法律事務所
3,000万円が600万円に?有責配偶者に突きつけられた現実と相手の真意を読み解く弁護士
中澤総合法律事務所の代表を務めるのは、幼少期や高校生のころの経験から将来を決めた中澤 拓夢(なかざわ たくむ)弁護士。
障がいをもつご両親と生活する中で手話を覚え、健常者とのコミュニケーションをサポートするやさしい少年として育ちました。
弁護士になった今でも、離婚に悩む依頼者の話をよく聞いたり、相手方の主張を冷静に分析したりして解決に導いています。
また、依頼者の納得感を大切にして事件処理を進めているといいます。
今回は中澤先生が解決した事件や、事件解決に向けたアプローチをお聞きしました。
障がいをもつご両親と生活する中で手話を覚え、健常者とのコミュニケーションをサポートするやさしい少年として育ちました。
弁護士になった今でも、離婚に悩む依頼者の話をよく聞いたり、相手方の主張を冷静に分析したりして解決に導いています。
また、依頼者の納得感を大切にして事件処理を進めているといいます。
今回は中澤先生が解決した事件や、事件解決に向けたアプローチをお聞きしました。
01 弁護士になったきっかけ
きっかけは進路指導のガイドブック。そのまま弁護士の道へ
――中澤先生は、どのような幼少期を送ったのですか?
私の両親には聴覚障害がありました。両親が周囲の人とコミュニケーションをとるときには、私が必ず間に入って通訳をしていました。私は、両親から手話を教えられていたため、物心がついた5歳ごろには手話で日常会話ができていました。
また、私は、自宅でテレビを見るにしても何をするにしても、基本的には音や声のない環境で育ってきましたので、両親の通訳をするときを除いて、音や声が当たり前のように存在している外の世界にはあまり馴染めず、人付き合いもどちらかというと苦手で内気でした。
学生時代には、何度か、両親の聴覚障害のことを理由としていじめられたこともありましたし、人付き合いについて未熟な点があったこと等を理由としていじめられたこともありました。
とはいえ、多少辛いことはあっても両親のことを恨むようなことはなく、それなりに良好な関係を築いていました。また、「いつか私のことを認めなかった全ての人達を見返してやりたい」という反骨精神で勉学に励んでいましたし、上手いかどうかはさておき、サッカーをすることが好きだったので部活動に没頭するなど、ごく普通の学生生活を送っていました。
――その後、弁護士を目指すと。きっかけは何だったのですか?
実は、将来は教師になりたいと考えていた時期もありました。
それは、私がいじめを受けたときに、教師も含めて誰も手を差し延べたり親身に話を聞いてくれませんでしたし、他の誰かがいじめを受けているところを見たときに、私も手を差し延べることができませんでしたので、このような経験やコンプレックスを踏まえ、私が教師になって、全ての生徒が笑って学生時代を過ごすことができるように力になってあげたいと思い至ったからです。
他方で、「少し違うかもしれない」という感覚もあり、進路を決めきれずにいました。そんなとき、ふと目に入ったのが進路指導のガイドブックだったのです。
ガイドブックには「あなたの性格に合った職業」を提案するページがありました。性格診断のように「Yes」あるいは「No」を選択するというものです。
そのとき、素直に回答を選択していくと、自分に適性のある職業は「弁護士」であるとの結論に辿り着いたのです。
私はこの結論に運命を感じました。
なぜなら、弁護士であれば、正々堂々と何も恥じることなく、悩んでいたり困っている人に手を差し延べ、たとえ声にならない声であってもその声を代弁して第三者に伝えることができ、そのことを通じてその人を助けることができるかもしれず、このことは、私の過去の苦い経験やコンプレックスを克服することにも大いに通ずるものであるはずだと確信したからです。
私の両親には聴覚障害がありました。両親が周囲の人とコミュニケーションをとるときには、私が必ず間に入って通訳をしていました。私は、両親から手話を教えられていたため、物心がついた5歳ごろには手話で日常会話ができていました。
また、私は、自宅でテレビを見るにしても何をするにしても、基本的には音や声のない環境で育ってきましたので、両親の通訳をするときを除いて、音や声が当たり前のように存在している外の世界にはあまり馴染めず、人付き合いもどちらかというと苦手で内気でした。
学生時代には、何度か、両親の聴覚障害のことを理由としていじめられたこともありましたし、人付き合いについて未熟な点があったこと等を理由としていじめられたこともありました。
とはいえ、多少辛いことはあっても両親のことを恨むようなことはなく、それなりに良好な関係を築いていました。また、「いつか私のことを認めなかった全ての人達を見返してやりたい」という反骨精神で勉学に励んでいましたし、上手いかどうかはさておき、サッカーをすることが好きだったので部活動に没頭するなど、ごく普通の学生生活を送っていました。
――その後、弁護士を目指すと。きっかけは何だったのですか?
実は、将来は教師になりたいと考えていた時期もありました。
それは、私がいじめを受けたときに、教師も含めて誰も手を差し延べたり親身に話を聞いてくれませんでしたし、他の誰かがいじめを受けているところを見たときに、私も手を差し延べることができませんでしたので、このような経験やコンプレックスを踏まえ、私が教師になって、全ての生徒が笑って学生時代を過ごすことができるように力になってあげたいと思い至ったからです。
他方で、「少し違うかもしれない」という感覚もあり、進路を決めきれずにいました。そんなとき、ふと目に入ったのが進路指導のガイドブックだったのです。
ガイドブックには「あなたの性格に合った職業」を提案するページがありました。性格診断のように「Yes」あるいは「No」を選択するというものです。
そのとき、素直に回答を選択していくと、自分に適性のある職業は「弁護士」であるとの結論に辿り着いたのです。
私はこの結論に運命を感じました。
なぜなら、弁護士であれば、正々堂々と何も恥じることなく、悩んでいたり困っている人に手を差し延べ、たとえ声にならない声であってもその声を代弁して第三者に伝えることができ、そのことを通じてその人を助けることができるかもしれず、このことは、私の過去の苦い経験やコンプレックスを克服することにも大いに通ずるものであるはずだと確信したからです。
02 弁護士としてのキャリア
離婚事件に強み。依頼者の言葉に耳を傾けるために選んだ独立
――今の事務所を立ち上げる前は、どこかの事務所で働いていたのですか?
東京都内にある、弁護士が多数所属する法律事務所に勤めていました。
その事務所は事件の分野ごとに部署が分かれており、私は、離婚事件や相続事件をはじめとする一般民事事件を幅広く担当する部署に所属していました。
ただ、その実情としては、一人の弁護士が多くの事件を抱えるため、依頼者さまお一人お一人と向き合ってそのお話をじっくり聞くことができなかったことも多々ありました。
そこで、自分の裁量で事件処理を進め、その中で依頼者さまお一人お一人や事件それ自体とじっくりと向き合っていきたいと思ったことが大きな理由の一つとなり、独立するに至りました。
――独立してからはどのような事件を扱っていたのですか?
実は、以前の事務所から許可を得て持ち出した一般民事事件を取り扱っていました。
一方、私は独立を機に拠点を大阪府に移しますが、そこには営業や保険、それに銀行員や士業などさまざまな仕事に就いた大学時代の友人たちがいました。
ありがたいことにそういった友人たちとの関係から、仕事に結びつくことも多々ありました。
――今年(2024年)、事務所の看板を掲げたのですね。その理由は何でしょうか?
「事務所の看板を掲げないの?」と言われることが多くなったというのが正直なところです。
それ以前は、看板を掲げること自体にあまり興味がありませんでしたし、それが急務というわけでもなかったほか、適当な事務所名も特に思い付きませんでしたので、看板を掲げない形でこじんまりと弁護士業務に従事していました。
仕事に支障は全くありませんでしたが、独立後1年というタイミングもあり、ベタに「中澤総合法律事務所」という名前を付けました。
東京都内にある、弁護士が多数所属する法律事務所に勤めていました。
その事務所は事件の分野ごとに部署が分かれており、私は、離婚事件や相続事件をはじめとする一般民事事件を幅広く担当する部署に所属していました。
ただ、その実情としては、一人の弁護士が多くの事件を抱えるため、依頼者さまお一人お一人と向き合ってそのお話をじっくり聞くことができなかったことも多々ありました。
そこで、自分の裁量で事件処理を進め、その中で依頼者さまお一人お一人や事件それ自体とじっくりと向き合っていきたいと思ったことが大きな理由の一つとなり、独立するに至りました。
――独立してからはどのような事件を扱っていたのですか?
実は、以前の事務所から許可を得て持ち出した一般民事事件を取り扱っていました。
一方、私は独立を機に拠点を大阪府に移しますが、そこには営業や保険、それに銀行員や士業などさまざまな仕事に就いた大学時代の友人たちがいました。
ありがたいことにそういった友人たちとの関係から、仕事に結びつくことも多々ありました。
――今年(2024年)、事務所の看板を掲げたのですね。その理由は何でしょうか?
「事務所の看板を掲げないの?」と言われることが多くなったというのが正直なところです。
それ以前は、看板を掲げること自体にあまり興味がありませんでしたし、それが急務というわけでもなかったほか、適当な事務所名も特に思い付きませんでしたので、看板を掲げない形でこじんまりと弁護士業務に従事していました。
仕事に支障は全くありませんでしたが、独立後1年というタイミングもあり、ベタに「中澤総合法律事務所」という名前を付けました。
03 強みを活かした解決事例①
離婚するのに3,000万円必要?最終的に600万円で済んだ理由
――離婚事件で印象に残っているものはありますか?
男性の依頼者さまから離婚したいという相談を受けました。
しかし、依頼者さまは離婚の原因を作った側だったのです(不貞)。
基本的には不貞した本人から離婚を申し出ても、認められないことのほうが多いのです。
そのため、離婚が難しいこと、そして離婚できたとしても相場以上のお金が必要になる旨を説明しました。
それでも依頼者さまのお気持ちは変わらなかったため、奥さまとの交渉を進めることにしました。
実は依頼者さまと奥さまとの間にはお子さまがいました。
奥さまからすると「離婚しても、子どもにはきちんと教育を受けさせたい」という希望があったようです。
ただ、それを紐解くのがなかなか大変でした。
――それはなぜですか?
当初は約3,000万円のお金を要求されていたのです。
いくら依頼者さまに非があるとはいえ、これまでの経験からするとやや高い金額でした。
そのため、金額の根拠を聞き出すために依頼者さまから粘り強く情報を聞き出したのです。
そして、依頼者さまの言葉に耳を傾け、そこに隠されている奥さまの想いを推測しました。
その結果が、お子さまの教育を心配されているとわかったのです。
――最終的にどうなったのですか?
最終的には教育や養育にかかるお金を除いて600万円で和解できました。
奥さまの主張は尊重し、お子さまの教育に必要なお金をきちんと支払うことで納得していただけたのです。
私の推測どおり、奥さまはお子さまの教育について心配していました。
その点が払拭されたことで、奥さまは離婚に応じてくれたのです。
男性の依頼者さまから離婚したいという相談を受けました。
しかし、依頼者さまは離婚の原因を作った側だったのです(不貞)。
基本的には不貞した本人から離婚を申し出ても、認められないことのほうが多いのです。
そのため、離婚が難しいこと、そして離婚できたとしても相場以上のお金が必要になる旨を説明しました。
それでも依頼者さまのお気持ちは変わらなかったため、奥さまとの交渉を進めることにしました。
実は依頼者さまと奥さまとの間にはお子さまがいました。
奥さまからすると「離婚しても、子どもにはきちんと教育を受けさせたい」という希望があったようです。
ただ、それを紐解くのがなかなか大変でした。
――それはなぜですか?
当初は約3,000万円のお金を要求されていたのです。
いくら依頼者さまに非があるとはいえ、これまでの経験からするとやや高い金額でした。
そのため、金額の根拠を聞き出すために依頼者さまから粘り強く情報を聞き出したのです。
そして、依頼者さまの言葉に耳を傾け、そこに隠されている奥さまの想いを推測しました。
その結果が、お子さまの教育を心配されているとわかったのです。
――最終的にどうなったのですか?
最終的には教育や養育にかかるお金を除いて600万円で和解できました。
奥さまの主張は尊重し、お子さまの教育に必要なお金をきちんと支払うことで納得していただけたのです。
私の推測どおり、奥さまはお子さまの教育について心配していました。
その点が払拭されたことで、奥さまは離婚に応じてくれたのです。
04 強みを活かした解決事例②
無駄な争いを起こさない。当事者の間を取りもつ翻訳者。
――ほかの解決事例も教えてください。
同じく離婚ですが、次は奥さまが依頼者さまです。
旦那さまからの束縛がひどく、離婚したいという相談を受けました。
ところが、いざ受任して旦那さまに電話したところ、大変なことが起こりました。
――どんなことですか、それは。
電話口で聞くに堪えない罵詈雑言を浴びせられたのです。
もちろん一緒になって怒ったり、反対に萎縮したりすることはありませんが、私も弁護士である前に一人の人間です。
――つらい状況ですね。どのように対処したのですか?
とにかく旦那さまの話を最後まで聞きました。
そして、相手の気が済んだところでさらっというのです。
「奥さまは、旦那さまのそういう部分に嫌気が差したのかもしれないですね」と。
そうすると旦那さまは声を荒げなくなり、交渉に応じてくれ無事に離婚できました。
――ほかの分野の解決事例はありますか?
刑事事件でもさまざまな事例があります。
たとえば、依頼者さま(男性)が同じマンションの隣室に住む女性のベランダに侵入したという事件がありました。
被害者に寄り添って粘り強く交渉し依頼者さまが反省文を書くことで、マンションから退去する(引っ越す)という条件続きで示談を成立させたことがあります。
示談金は40万円、そして依頼者さまは不起訴処分になりました。
――刑事事件において示談は大切なのですね。
一方、そもそも示談の必要がない事件もありました。
不同意わいせつの刑事弁護を担当したことがあります。
被害者の主張を物理的に検証したところ、体勢に無理があるとわかったのです。
また、仮に問題のわいせつ行為が事実であったとしても、それ以前の経緯から「同意があったのでは?」という疑いが残る点を主張しました。
結局、依頼者さまは嫌疑不十分のため不起訴処分になり、無事に釈放されました。
同じく離婚ですが、次は奥さまが依頼者さまです。
旦那さまからの束縛がひどく、離婚したいという相談を受けました。
ところが、いざ受任して旦那さまに電話したところ、大変なことが起こりました。
――どんなことですか、それは。
電話口で聞くに堪えない罵詈雑言を浴びせられたのです。
もちろん一緒になって怒ったり、反対に萎縮したりすることはありませんが、私も弁護士である前に一人の人間です。
――つらい状況ですね。どのように対処したのですか?
とにかく旦那さまの話を最後まで聞きました。
そして、相手の気が済んだところでさらっというのです。
「奥さまは、旦那さまのそういう部分に嫌気が差したのかもしれないですね」と。
そうすると旦那さまは声を荒げなくなり、交渉に応じてくれ無事に離婚できました。
――ほかの分野の解決事例はありますか?
刑事事件でもさまざまな事例があります。
たとえば、依頼者さま(男性)が同じマンションの隣室に住む女性のベランダに侵入したという事件がありました。
被害者に寄り添って粘り強く交渉し依頼者さまが反省文を書くことで、マンションから退去する(引っ越す)という条件続きで示談を成立させたことがあります。
示談金は40万円、そして依頼者さまは不起訴処分になりました。
――刑事事件において示談は大切なのですね。
一方、そもそも示談の必要がない事件もありました。
不同意わいせつの刑事弁護を担当したことがあります。
被害者の主張を物理的に検証したところ、体勢に無理があるとわかったのです。
また、仮に問題のわいせつ行為が事実であったとしても、それ以前の経緯から「同意があったのでは?」という疑いが残る点を主張しました。
結局、依頼者さまは嫌疑不十分のため不起訴処分になり、無事に釈放されました。
05 弁護士として心がけること
大切なのは依頼者さまの納得感。解決の方向性を選んでもらう
――弁護士として大切にしていることは何ですか?
依頼者さまに納得してもらうことです。
そのためには、まず依頼者さまのお話を最後まできちんと聞くことが大切だと思っています。
そして、私が状況を分析して先の見通しを立て、メリット・デメリットをきちんと理解してもらったうえで依頼者さまに方向性を選択していただく。
このようにすることで、依頼者さまの納得感を大切にしながら事件処理を進めています。
――法律で困っている方へ、中澤先生からメッセージをお願いします。
ひとりで抱え込まずにまずは相談していただければと思います。
そのうえで、法律で解決できることであれば私が力になります。
最善の選択ができるご提案をしますので、まずはお気軽に私の事務所までお越しください。
依頼者さまに納得してもらうことです。
そのためには、まず依頼者さまのお話を最後まできちんと聞くことが大切だと思っています。
そして、私が状況を分析して先の見通しを立て、メリット・デメリットをきちんと理解してもらったうえで依頼者さまに方向性を選択していただく。
このようにすることで、依頼者さまの納得感を大切にしながら事件処理を進めています。
――法律で困っている方へ、中澤先生からメッセージをお願いします。
ひとりで抱え込まずにまずは相談していただければと思います。
そのうえで、法律で解決できることであれば私が力になります。
最善の選択ができるご提案をしますので、まずはお気軽に私の事務所までお越しください。