たかはた ごう
髙畑 剛弁護士
弁護士法人池袋吉田総合法律事務所
東池袋駅
東京都豊島区南池袋3-18-36 富美栄ビル602
インタビュー | 髙畑 剛弁護士 弁護士法人池袋吉田総合法律事務所
常に柔和で依頼者はもちろん、相手方との調和も意識する弁護士。丁寧な仕事ぶりでリピーターも多数
小学校の卒業アルバムになりたい職業として「弁護士」と記載し、夢を叶えた池袋吉田総合法律事務所の髙畑 剛弁護士。
常に柔和で冷静な対応が依頼者に安心感を与え、すでに紹介やリピートが舞い込んでいます。
事務所移籍後、決意も新たにさらなる飛躍を目指す髙畑先生。
ピリピリしがちな仕事に携わるなかで、どんな時もマイルドな空気を漂わせ、「負」を解消していく弁護スタイルはどのように育まれたのでしょうか。
その弁護スタンスや法曹人としての信念に迫り、笑顔の内側をのぞかせてもらいました。
常に柔和で冷静な対応が依頼者に安心感を与え、すでに紹介やリピートが舞い込んでいます。
事務所移籍後、決意も新たにさらなる飛躍を目指す髙畑先生。
ピリピリしがちな仕事に携わるなかで、どんな時もマイルドな空気を漂わせ、「負」を解消していく弁護スタイルはどのように育まれたのでしょうか。
その弁護スタンスや法曹人としての信念に迫り、笑顔の内側をのぞかせてもらいました。
01 弁護士を目指したきっかけ
小学校の卒業アルバムに書いた、将来なりたい職業「弁護士」
――弁護士を志したきっかけについて教えてください。
小学生の頃の卒業アルバムには、将来の夢として、「医師か弁護士」と記載しました。
誰かに憧れてというより、子どもながらに専門的な仕事に就きたいという願望だったと思います。
その後、中学生・高校生となるに従い、より具体的に弁護士をなりたい職業として意識するようになり、進路を法曹界へ定めました。
社会へ出て、自分の働く姿をイメージしたとき、企業に所属して、組織のなかで仕事をするよりも自分のスキルをベースに自律的に仕事をするほうがしっくりきたのです。
物事を論理的に考えることも好きでした。
――大学は法学部に進学し、ロースクールを経て司法試験というコースですか。
そうです。
ただ、司法試験ではとても苦労しました。
法律家を目指すと決め、法律学の勉強に本腰を入れはじめましたものの、私には学問としてなんとも難しく感じられたのです。
いま思えば、あっさりと司法試験に合格せず、苦労したことは本当にいい経験になりました。
なかなか理解できないことがあったとき、どうすれば理解できるのかということを考え続け、そのことがいま、依頼者の方とのコミュニケーションを図るうえでとても役に立っています。
02 弁護士としての足跡
人に恵まれながら、依頼者との信頼をがっちり構築する弁護スタイルで頭角を現した駆け出し時代
――晴れて弁護士になり、感慨はありましたか。
それはとくにありませんでしたが、人には恵まれたと思います。
最初の勤務地は埼玉県川口市の法律事務所だったのですが、自分の性格に合う弁護士から指導を受ける機会に恵まれ、いい形で弁護士としての一歩を踏み出せました。
――主にどのような分野に対応していたのですか。
一般民事全般です。
交通事故、離婚、相続、倒産事件などはすべて経験しました。
特に、交通事故と相続は多くの事案に対応しました。
たとえば交通事故では、物損事故から死亡事故まで多岐にわたる経験があります。
交渉事件だけでなく、訴訟事件もたくさん対応しました。
相続では、遺産分割の交渉にはじまり、複雑な寄与分をめぐる事件まで幅広く取り扱いました。
――事案を解決へ導くためにどのような対応を心がけているのですか。
たとえば遺産分割の交渉では、弁護士からみると法的な争点は少なそうに見え、当人同士での話し合いでもいいのでは、というケースもあります。
ところが、依頼者の方は、相手方と直接交渉することを避けたいという人が予想外に多いのです。
親族同士だからこそ、相続問題では一定の距離を置きたいという心理なのでしょうか。
そうなると、弁護士として介入することで、いかに円滑に相続人間のコミュニケーションを図るかがより重要な役割になってきます。
そこで私は、依頼者の方はもちろんですが、相手方の気持ちを理解してさしあげることにも注力するようにしていました。
人間は決して自分と同じ考えの人物だけでなく、正反対の人間もいますから。
たとえ相手方の言い分が法的には通らないとしても、まず丁寧にお話をお聞きしてさしあげることで交渉が円滑になり、最終的には迅速な解決につながることが多いんです。
03 事務所の移籍
頼れる兄貴分。先輩から学んだ弁護士のイロハ
――2021年の10月には事務所を移籍されました。
理由は2つあります。
ひとつは、前の事務所で指導役だった先輩が独立したこと。
もうひとつは、その先輩の事務所が私の注力していきたい分野の取り扱いを軸にしていたことです。
先輩は私の5期上で歳も近く、本当にいろいろ指導いただきました。
性格や考え方などが私と似た部分も多く、まさに頼れる兄貴分として本当にお世話になりました。
その先輩が独立することになり、いまの事務所に相談のうえ、私の方から「一緒に働かせていただけませんか」とお願いしたんです。
――強い絆があったのですね。
私が一方的にお願いしただけです(笑)。
前の事務所も、私と先輩が仲良くしていたことはもちろん知っていたので。
――先輩からは具体的にどんなことを学んだのですか。
それこそ弁護士としてのイロハを学ばせていただきました。
ただし、一挙手一投足、具体的な指導を受けたことはありません。
電話対応や接客時の距離感のとり方などを、横目にみて勉強させていただきました。
もちろん、当初は書面の書き方などの指導を受けることはありましたが、弁護士になって1年を過ぎたことから、晴れて免許皆伝となりました。
晴れて免許皆伝となったときは、先輩からも一人前と認めてもらえたようで、非常にうれしかったことを今でも覚えています。
04 弁護士としての信念
依頼者さまの望む解決は一つひとつ丁寧に仕事に取り組む先にしかない
――弁護士としての信念を教えてください。
一つひとつ丁寧に、仕事を取り組むことです。
どんな小さなことでもきちんと対応することで、依頼者の方が望む解決につながるからです。
依頼者さまとコミュニケーションをとることは代理人である弁護士として最低限の務め。
私は説明もできるだけわかりやすくするよう心がけています。
あまりに噛み砕いてしまうと正確な定義から少し外れてしまうこともあるのですが、それよりも伝わることの方が大切なので「これは一般の方に説明してわかるのだろうか」ということを常に意識しています。
05 今後の展望
最善の解決へ導けるよう研鑽を欠かさない弁護士でありたい
――弁護士としての展望をお聞かせください。
まだまだ勉強することばかりです。
ただ、事件解決後に依頼者さまから近況報告をいただくことも多いんです。
今でも、1年に1度「その後も元気で暮らしています」と近況報告してくださる方がおり、弁護士としてお役に立てたことを嬉しく感じています。
くわえて、一度依頼を受けた依頼者の方から、別案件でのリピートや、別の依頼者の方のご紹介をいただくこともあります。
その意味ではいまのスタイルが間違っていないという手応えは感じています。
あとはそうした期待によりお応えできるようにするために私自身がもっと勉強をして、常に研鑽を欠かさず、弁護士として知識を深めることが当面の目標ですね。
新しい事務所では大学で勉強した中国語を活かし、在日の中華圏(シンガポール・マレーシアなど含む)経営者向けの企業法務にも取り組んでいきたいと思っています。